大阪・関西万博への思いと体験
2025年4月13日から10月13日に夢洲で開催された万博はとても良いイベントだったと思います。何度も行くことができ、仕事で支援することができ、良い経験をすることができました。万博のすべての関係者に心からの感謝を申し上げます。
万博への思いと体験
わたくしは何度も東京から大阪・関西万博を訪れました。開幕前はコロナや建築費高騰、工期遅延などの影響で、マスコミでは否定的な報道が目立ちました。東京では万博やミャクミャクの話題はほとんど耳にしませんでした。開幕前は「万博に行くことが恥ずかしい」と感じることもあり、お客さまや友人に万博に行くことを伝えられませんでした。開幕日4月13日9時、西ゲートの入場予約をしていたものの、前日までバスの予約が取れず、不安を抱えながらの出発でした。開幕日は雨と寒さに見舞われるあいにくの天候。しかし、ゲートをくぐり、目の前に広がる大屋根リング、ガンダム、ミャクミャクの姿を目にした瞬間、胸の奥から感動が込み上げてきました。報道で語られる「未完成」の万博ではなく、何年もかけて準備してきた多くの人々の努力の結晶、わたしたちの未来の世界がありました。
「アメリカ館」では、かつて自分が訪れた街の映像が次々と映し出され、自分の旅の記憶が重なり、涙が流れ、胸が熱くなりました。教育、技術、自然、多様性についても心に残りました。「いのちの未来」パビリオンでは、医師の立場で、Androidと人間の共生や、生きる意味について考えさせられました。「EARTH MART」パビリオンでは、そもそも食事とは何かを考えるきっかけとなり、持続可能な食や未来の食について学ぶことができました。
産業医としての関わり
当社のお客さま4社が万博関連業務に携わっており、長年に渡ってコロナ、熱中症、メンタル、労災対策などを支援しました。大きな事故もなく無事に終えられたことを誇りに思います。開幕前から万博のためにたくさんの人が懸命に働いていたため、「万博を中止しろ」「反対だ」という声を聞くたびに胸が痛みました。それでも、自分の立場から支援を続けました。万博が多くの雇用を生み出す一方で、大阪市内の企業からは「アルバイトが集まらない」「時給が上がって困る」といった現実的な声も聞きました。
会場で熱中症の初期対応を行いました。三度目の訪問の際に中学生の女の子が倒れた場面に遭遇しました。会話も飲水もできない程度の意識レベルの低下があり、放置すれば命に危険が及ぶ状態状態であり、初期対応を行いました(周囲にたくさんの人がいて支援を求めましたが、誰も手伝ってくれなかったのが残念です)。万博の担当者を呼び、医務室への搬送、救急までの支援することがありました。この対応でイタリア館の予約時間に遅れましたが、事情を説明すると最優先で入場させていただき、人の温かさを感じました。
万博と自分の人生とのつながり
学生時代から海外文化に強い関心があり、同志社大学時代には周囲にフランスやイタリアなどへ旅をする友人が多くいました。18歳の頃から毎年のように海外を訪れ、一人でアメリカを横断したり、世界一周をしたりもしました。現在も仕事やプライベートで海外に行く機会が多く、世界の文化や人々の考え方に触れることが人生の喜びです。そのため、大屋根リングの中に世界中の文化が一堂に会する万博には、かねてより強い憧れがありました。
50個以上のパビリオンを訪問しました。パビリオンを訪れるたびに、各国が自国の文化にを誇りを持って紹介している姿に心を打たれました。世界を旅したときに感じた「人と人のつながり」「文化を超えた理解」が、万博の中に確かに存在していました。
子どもを持つ立場としても、万博は子どもたちにとってかけがえのない学びの場だと感じています。科学や技術、文化に触れることで、「将来こんな仕事をしてみたい」「海外で働いてみたい」「iPS細胞で臓器を作りたい」といった夢を子ども達に芽生えさせたはずです。万博は、「いのちを救う」「いのちに力を与える」「いのちをつなぐ」という未来を信じる力を育む場所だったと思います。周囲の高齢者がオンラインでパビリオンを予約し、スマホやキャッシュレス決済に親しむ機会になった点でも良い機会だったと思います。
閉幕に寄せて
万博のすべての関係者の皆さまに、心から感謝申し上げます。影ながらではありますが、万博の誘致決定以来、長年にわたり仕事を通じて万博に関わることができたことを誇りに思います。さまざまな逆境の中でリスクを背負いながらも開催と成功に導かれた吉村洋文知事や横山英幸市長の姿勢に、諦めず挑戦を続ける大切さを学びました。私自身も、安全な立場から批判するのではなく、行動する側であり続けたいと改めて感じています。
10月12日の最終便で北海道から東京に戻りました。10月14日には早朝か東京で仕事があったため、閉幕日の10月13日には参加できませんでしたが、YouTubeの公式配信を見ながら、何度も涙がこぼれました。
イタリアから帰国した際に、関西国際空港で万博ボランティアの方に「大阪にいるならぜひ万博に行ってくださいね」と声をかけられ、ミャクミャクのバッジをいただいたときの温かさは忘れられません。
これまで東京オリンピック、ラグビーワールドカップ、マルディグラ、ニューヨークのハロウィンなど、世界中のイベントに参加してきましたが、大阪・関西万博ほど心に残ったものはありません。イベント会場で涙を流したのは、これが初めてでした。わたくしにとって、日本で開催されたイベントで日本が一つになった、いい年した大人が熱中したのはこの万博が初めてだったと思います。
「万博が開催された時代に生きていて良かった」「何度も行けて良かった」「影ながら仕事で支援できて良かった」。これらの思いを胸に、わたくしはこの経験を生涯忘れないと思います。
関西国際空港から羽田空港に向かうスターフライヤー便で、わたくしの前に世耕弘成議員が座っておられました。「万博を誘致して下さってありがとう」とお礼を伝えたかったのですが、後座からいきなり話されても困ると思い、この旨を伝えられなかったことが心残りです。新千歳空港から羽田空港に向かうJAL便で、「万博反対」と言いまくっていた議員が前に座っておられましたが、「万博の反対をすんなよ」と伝えようと思いましたがあえて伝えませんでした。
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